

エピソード 1
悟りの 体 感
すべての道は、同じ山頂を目指しているんだよ!








暗号と迷路
過去の宗教的な天才たちは、
仏や神という存在を――ダイレクトに体験した。
だから、彼らが残した教えは驚くほどシンプルだ。
「ただ座りなさい」(*道元禅師)
「念仏しなさい」(*法然)
「神を愛しなさい」(イエス)
伝統宗教は、まるで暗号のような言葉たちでできている。
天才ではない僕ら、後世の人間は、
その教えを手がかりに修行を重ねても、
あるいはいくら知識を増やしても、
やがて行き止まりにぶつかることが少なくない。
僕が伝統の迷路にはまり込まずにすんだのは、
本当に幸運だった、と思う。
第1章

誰でも悟れる時代が、はじまっている
宇宙大霊への目覚め
“なんて不思議なんだろう”と思った。
ある日、宇宙大霊である阿弥陀如来の実在を体験し、
僕は、霊的に目覚めた。
そのとき、ただ *阿弥陀如来のイメージを心に思い浮かべるだけで、
身も心も温かく、柔らかくなり、
大いなる愛に溶けていく自分がいた。
何も思わずとも――
宇宙一切の天上界の方々の向上を、
念々(ねんねん)願い続けている自分がいた。
このとき起こった心と身体の変化を、
僕は「悟りの体感」と呼ぶことにした。
「自分は悟った!」と思ったからではない。
それが、古の修行者や宗教者たちの体験と、共通していたからだ。

悟りは、もはや特別な人のものではない
本を書くとき、僕は自分に二つの約束をした。
一つ、基本的に自分が体験したことだけを書く。
もう一つ、他の人も体験できることだけを書く。
そして今、はっきり言いたい。
悟りは、もう特別な人のものじゃない。
誰でも体感できる時代が来た。

導かれるように見出した道
「悟りの体感」を他の人も体験できるようにしたい、と僕は願った。
そして、果てしなく永い年月をかけて、その方法を探し続けた。
「悟りの体感」は言語を超えている。
だから、試行錯誤と悪戦苦闘の連続だった。
それでも、自分の無意識を言葉にしようと試みるうちに――
まったく思いがけず、
誰でも一足飛びに「悟りの体感」を得られる方法を発見したのだ。
それは、まるで導かれたような発見だった。


*法然(1133〜1212年)日本の僧侶。阿弥陀如来の名前を繰り返し唱える『念仏』の教えを説いたのよ。

*道元禅師(1200~1253年)は、スティーヴ・ジョブスにも影響を与えた日本の禅マスターだね。

*阿弥陀如来は仏教界のスーパースターだよ。大乗経典の中で最も多く説かれているんだ。

大乗経典は、”生きとし生けるものを救おう”というコンセプトのお経で、紀元1〜2世紀以降に生まれたんだね。



法 体
第2章

氣がひらく、悟りの扉
“体感”といっても、それは身体的な触覚のことではない。
ここで言う体感とは――「氣の体感」である。
(あるいは存在の体感だ)
人間には本来、五感を超えた、
より繊細な感覚が備わっている。
この氣の体感を入り口として、人を誘導し、
「悟りの体感」を体験せしめることができるのだ。
1985年ごろから、
僕は「タオ指圧」を教えはじめた。
氣が流れる経絡を通して、人を癒す方法だ。
その中で偶然、
生徒さんたちに氣を体感させる方法を発見した。
最初は一人。
次に数人。
やがて数十人が氣を感じるようになった。
氣が導く悟りの体感
2000年を過ぎるころには、
世界のどこへ行っても、
ほとんどの人が氣を体感できるようになっていた。
この体験をきっかけに、
僕は「悟りの体感」を共有する道を探り始めた。
目に見えない四つのからだ
ある日、僕は気づいた。
肉体のほかに、見えない【四つのからだ】があることに。
それは――
法体、仏性のからだ、霊のからだ、氣のからだ。
氣を感じられるようになった人を誘導すると、
誰もがこの四層を同じように体感した。
悟り体感の四種
自己分析すると、
悟りの体感には、異なる四つのタイプがあった。
なぜ四つなのか?
それは――
法体、仏性のからだ、霊のからだ、氣のからだが、
それぞれ異なる「悟りの体感」を得ていたからだった。

四 体
法 体
仏性のからだ
霊のからだ
氣のからだ



経絡は、全身を流れている生命エネルギーのことだよ。

氣は、宇宙のエネルギーを指す、中国哲学の言葉よ。


相手に触れず、氣で飛ばす様子

光明の体感
自己も世界も空性で、光明が遍く十方を照らしている。

威神の体感
細胞の1つ1つがじんじんと快く振動し、宇宙一切の原子と響き合っている。

大愛の体感
宇宙大霊の大愛に身も心も溶かされ、自分の呼吸が宇宙の呼吸とシンクロしている。

本願の体感
パウロや親鸞のように、宇宙大霊に一切を任せ切った安らかな心身。

治療実演
歩行困難だった人が走り出す。
悟りの体感って、
どんなものなんだろう?





第3章

四つの悟り体感/四つのからだ
1 光明と法体
空性光明の悟り体感

あるとき――
“前から吹いてきた風が、背中へ抜けていく”ような、
どこまでも透明な体感が訪れた。
それは、何ものにも縛られない、
完全なる自由の体感だった。
僕の心身が透明体になったとき、
宇宙もまた、全一の透明体になった。
僕の存在は、どこまでも透き通った、無辺の空だった。
光と影の原理
……そのとき気づいた。
現象とは、
光が宇宙に遍(あまね)く照ったときに生まれるーー“影”なんだ、と。

光明の浄土としての世界

人間の意識がカルマによって限定されたとき、
現象が姿を現す。
けれどその影の本性は、
もともと光明の浄土――
大いなる光の世界そのものなのだ。
法 体(ほったい)
法体とは――
形のない、無辺のからだ。
*如来の法身とは――
形なき光、相対を超えた無限性。
不思議なことに、
どちらも空でありながら、
如来の法身は、確かに人の法体に触れてくる。
光の遍照
僕のからだは透明体。
宇宙もまた、全一の透明体。
両方がお互い触れ合ったとき――
十方の世界に、光があまねく照りわたっていた。


*大乗仏教では、宇宙全体を、無限(無辺)で透明な空性(くうしょう)のからだとも捉えるんだよ。

*山崎弁栄は、宇宙大霊を”如来”と呼んだのよ。



2 大愛と仏性のからだ
大愛呼吸の悟り体感

宇宙大霊の温かな大愛に包まれたとき、
僕の心と身体は、ゼリーのようにやわらかく溶けていった。
善導大師は 、この体感を
「身心融液にして不可思議」と語られた。
大愛の懐(ふところ)に抱かれた僕は、
喜びも悲しみも溶けて、ただ温かかった。
あまりの優しさに、抵抗することができず、
やがて絶対の幸福感に包まれた。
存在のすみずみまでもが、
永遠の温泉に浸っているようだった。
ただ、深くて広い快さの中に漂っていた。
そして気づいた。
――世界のすべては、最初から大愛の中にあったのだ、と。
深い安堵が胸を満たし、
心の奥で思わずつぶやいた。
「やっと、本当の家に帰ってきたんだ」と。
宇宙の呼吸とひとつに
やがて、自分の呼吸が
宇宙の呼吸と重なっていることに気づいた。
宇宙そのものが、大愛を呼吸していた。
いや――呼吸していたのは、僕ではなく、
宇宙の方だったのだ。

体感を分かち合う
この大愛に摂め取られる体感を得てから、
僕は、その感覚を他の人にも分かち合えるようになった。
近くの人へも、遠く離れた人へも、
そして、宇宙一切の生命へも――。
無意識のうちに、それを体感させるようになった。

日々、念々、
すべての存在に大愛を感じさせること。
それが“*憶念の回向”だ。








仏性のからだ
大愛の体感に包まれたあるとき、
ふと気づいた。
――あっ、成層圏よりも大きな“仏性のからだ”が呼吸している。
その呼吸は、宇宙とひとつだった。
宇宙が呼吸しているもの――
それは如来の大愛そのものだった。

やがて、僕は気づいた。
自分が“大愛遍満の世界”にいることに。
そして、朽ちることも尽きることもない
絶対の幸福が、心の奥に生まれた。
きっと、“霊界の太陽”が姿を現したのだ。
その光の中で、僕はさらに気づいた。
仏性のからだの奥に、
大愛報身が静かに息づいていることに――。
*憶念は、愛情をもって、神や仏を想うことだよ。どの宗教でも言うね。

*山崎弁栄の教えでは、宇宙の中心を報身というんだ。りょうきゅうさんの体験では、報身は大愛の発生源らしいよ。

この状態に目覚めると、
一日中、大愛の中に住することができる。
そのとき僕の仏性のからだに、
大愛の*報身がそっと宿った。
気づかぬうちに、
静かに――融合してくださったのだ。
*ここでいう回向とは、「内なる宇宙大霊の大愛が
湧き上がって来る。それを他の人にふり向ける」こと。
ここで
修行者の手記を
2つ紹介するね!


修行者の手記 1
まるで生まれ変わったかのような私がいた

大森未久
(日本)
道場に籠ること一週間。
一日十二時間の「*希望の火声明」修行の中、
ある瞬間、ふと目頭が熱くなり、気づけば涙が止まらなくなっていました。
抗うことのできない、圧倒的な大愛のバイブレーション――
宇宙は透き通り、如来さまはただ光でした。
最終日、私は感じました。
これまで背負い続けてきた重い荷物を、すべて下ろせたかのような解放感を。
心も、身体も、驚くほど軽やかだった。
そしてそこには――
まるで生まれ変わったかのような私がいたのです。
*希望の火声明は、イメージングしながら祈り、マントラを繰り返し唱える修行だよ。

音楽的で、瞑想的らしいね。


どの宗教の人も一緒にできるのは良いね。

修行者の手記 2
初めての希望の火声明

今中 千登勢
(フランス在住)
それは、初めて京都の道場でタオ指圧を学び、
その後に声明に参加したときのことでした。
少し経つと――
言葉にできない感情が、いきなり押し寄せてきました。
涙があふれました。
それがどんどん強くなり、
目から鼻から流れ落ちて止まりませんでした。
これでもか、というほど涙が出て、
*マントラが始まるころには、もう嗚咽していました。
「どうしてこんなことになるのだろう?」
自分でもわかりませんでした。
けれど、終わったあとは不思議と心も身体も軽くなっていました。
――あれはいったい何だったのでしょうか。
その後も、声明のたびに同じような感覚に襲われました。
それは悲しみの涙ではありません。
今でも、ときおり、不意にあふれてくることがあります。
あるとき、私は気づきました。
声明は、自他のカルマを浄化し、光へと変え、
無限の向上へと導く祈りなのだと。
そのことを――私は身体そのもので理解しました。
その瞬間、あたたかく、深い幸福感が全身を包みました。
*マントラは、修行者が繰り返し唱える、聖なる文言のことなの。様々な宗教に存在するのよ。



3 威神(いじん)と霊のからだ
威神快楽の悟り体感




あるとき――
存在の根源から歓喜が吹き上がった。
どこから湧いてくるのか、最初はわからなかった。
でも気づいた。
ああ、そうか。
そもそも存在の根源は、“歓喜”だったんだ。
気がつけば、意図せず祈っていた。
一切の向上を、念々と。
その祈りは自分のものではなかった。
宇宙大霊の心そのものだった。
天上界の神々がその祈りに呼応し、
歓喜の中で向上していった。
そして理解した。
――宇宙は霊体であり、
その実相は“歓喜の無限向上”だったのだ、と。


宇宙の威神快楽
僕は*遊心をもって如来を讃えた。
その瞬間、自我の蓋がふっと外れた。
まるで掘り当てた温泉が吹き出すように、
内側から歓喜があふれた。
同時に――
威神快楽(いじんけらく)の体感が全身に満ちた。
何という快感......。
細胞ひとつひとつが快く震動し、
全宇宙と響き合っている。

*遊心は、子どものような自由な発想や創造の源泉なんだよ。霊性の発達に必要な四つの心の一つ。誰でも氣で認識することができるようになるんだ。

入我我入――宇宙と響き合う

その震動は、僕だけのものではなかった。
僕のすべての細胞が、宇宙のすべての原子と
互いに響き合っていた。
*霊応身(れいおうじん)と僕とは――
互いに含み合い、入れ合い、震動し合っていた。
威神応身は、外なる聖霊であり、
同時に、内なる仏――僕自身のそして一切の根源だった。

*弁栄上人が教えたよ。「仏教で『霊応身』と呼ぶのは、キリスト教でいう『聖霊』のこと」だ。


